あ
安房国 かつて千葉県の南部はこう呼ばれていました。 |
朝日ノ岡古墳 蕪木古墳群の中で一番大きい前方後円墳です。埴輪列は墳丘の中段と裾部に認められ、人物・馬・水鳥の形象埴輪と円筒埴輪が出土しました。主体部は横穴石室ですが、正式の報告が無く、詳しくは不明です。 |
円墳 形が円になっている古墳です。 |
横穴墓 崖の斜面に横穴を掘って墓としたものを横穴墓といいます。数基から数十基もの横穴が密集しあっているのが普通で、有力家族の墓として、古墳時代後期からつくられ始めました。 |
大王 大和朝廷で一番権力を握っていた人物を指します。 |
小川崎台3号墳 出土した武人埴輪は少年のようで、鉄の板をつなぎあわせた「桂甲」というよろいのびょうまで、ていねいに表現しています。人物や家形、馬形輪とも、芝山町殿部田5号墳から出土した埴輪にそっくりです。ほぼ同じ時期に同じ埴輪工人(職人)達がつくったのでしょう。埴輪製作集団のようすを知ることのできる貴重な資料です。 |
か
上総国 かつて千葉県の中央部はこう呼ばれていました。芝山は上総国の北東に位置します。ここで注意したいのは、上総国の上に下総国があり、上下逆の呼び方になっています。 |
香取海 かつて古墳時代には今の手賀沼も印旛沼も海とつながっていて、海水の入り込む広い静かな内海でした。今は失われたその内海を香取海と呼びます。 |
姓 大和朝廷での位を指します |
蕪木古墳群 松尾町蕪木に広がる古墳群をこう呼びます。有名な古墳では朝日ノ岡古墳などがあります。 |
形象埴輪 なにかの形をかたどってつくられた埴輪をこう呼びます。人物埴輪・動物埴輪・家形埴輪などがあります。 |
豪族 大和朝廷に支配された各地の有力な共同体は豪族とよばれました。豪族の頭は氏上(うじのかみ)と呼ばれ、一族の氏人(うじびと)を支配していました。芝山古墳はにわ博物館で活躍してるハニオサは、豪族の氏上に当たります。 |
古墳 三世紀末ごろから八世紀ごろにつくられた有力者たちのお墓です。芝山町では姫塚・殿塚などが有名です。 |
古墳群 古墳が密集した様子を古墳群と呼びます。数える時には、1基2基‥と数えます。またひとつひとつの古墳は、1号墳2号墳と名付けられ、その中でも一番大きな古墳には特別な名称がつけられます。 |
さ
山武型埴輪 埴輪の型です。非常に大型で、細部まできちんとつくられており、豊かな表情が特徴です。 |
氏姓制度 大和朝廷の政治のしくみです。朝廷の支配下にある各豪族は、氏(うじ)という集団をつくり、朝廷から姓(かばね)をあたえられていました。 |
下総国 かつて千葉県の北部はこう呼ばれていました。 |
下総型埴輪 6世紀後半ごろに香取海を中心につくられた埴輪の型です。比率が決められていた事が特徴で、全体が少し簡略化された印象を受けます。 |
首長継承儀礼 亡き首長の権力をひきつぐ儀式。 |
修羅 古墳づくりの際、石室や石棺に使う大石や岩を山から運ぶのに「修羅」という木のソリを使いました。修羅は大きいものは9m近くもありました。大阪三ッ塚古墳から出土。 |
須恵器 須恵器は青灰色硬質(せいかっしょくこうしつ)の素焼きの土器です。古墳時代中期の五世紀ごろ、朝鮮半島から渡来してきた須恵器工人によって生産が始められました。その後、須恵器は陶部(すえつくりべ)という職業集団が制作し、ロクロを使い、窯を用いて1000度以上の高温で焼きました。 |
石棺 遺体や副葬品をおさめた石でできた棺です。 |
石室 古墳の中につくられた、遺体と副葬品をおさめた木棺や石棺が安置された部屋です。竪穴式や横穴式があります。 |
前方後円墳 前の方が四角で、後ろが円形につくられた古墳です。日本独特の形といわれています。大型古墳がほとんどこの形式です。 |
た
動物埴輪 埴輪の中には動物のかたどったものがあります。馬、牛、犬、鶏などの家畜や、猪、鹿、水鳥、魚などの獲物といった古代人の人々の生活に関係の深い動物が出土しています。中でも馬の埴輪は多く見つかっています。 |
殿塚【国指定史跡】 芝山古墳群の中で一番大きい前方後円墳です。古墳のまわりに二重の溝(周溝)をめぐらしています。横穴式石室が後円部南側にあり、内部には朱が塗られていました。形象埴輪は北側に集中していて、人物・動物・器財‥とその種類もきわめて豊富です。 |
渡来人 外国から日本に渡来した人を指します。古代には朝鮮や中国から渡ってくる人が多く、大陸の文化を日本に伝えました。 |
な
仁徳天皇陵 仁徳天皇の墓です。大阪府堺市にあり、世界一の大きさです。形は前方後円墳で、長さは457mです。 |
は
埴輪 古墳の周りや上に置かれた素焼きの土器です。円筒・人物・動物・器財・家などがあり、当時の生活や文化を知るてがかりになります。 |
埴輪工人 土器や埴輪をつくる人々の集団。土師部(はじべ)とも呼ばれていました。 |
はにわ祭 毎年11月の第二日曜日に芝山町をあげて開催されるお祭りです。 |
姫塚古墳【国指定史跡】 前方部を西にむけ、殿塚古墳と平行して築かれている前方後円墳です。形象埴輪は殿塚と同じように北側に集中し、古墳の中段にあたかも葬列を示すかのように一列に並んでいました。今まで不明であった形象埴輪の配列を知る最初の発見であり、多くの話題を提供しました。形象埴輪配列の研究にかかせない古墳として有名です。 |
武人桂更 武人がまとっていた、鉄の板をつなぎあわせた鎧です。ところどころに鋲が打ってあります。 |
方墳 形が四角になっている古墳です。 |
ま
任那日本政府 四世紀から六世紀にかけて朝鮮南部にあった、大和朝廷に支配された任那に置かれていた役所です。 |
武射の国 上総国の北東部(山武群北部)に位置したクニの名称です。芝山町一帯はかつてこう呼ばれていました。 |
や
山田・宝馬35号墳 7世紀初めごろの古墳です。出土した埴輪は佐原市片野古墳や小見川町城山古墳出土の埴輪に似ていて、九十九里地方の埴輪とはつくりかたが異なっています。芝山埴輪文化圏の北のはじにあり、利根川下流地域の埴輪のつくり方がはいってきたとみられます。 |
大和朝廷 四世紀はじめから、六四五年の大化改新まで、大和国(現在の奈良県)を中心に日本の統一を行った政府です。 |
ら
竜角寺101号墳 千葉県を代表する非常に大きな古墳群です。成田市大竹から栄町竜角寺にかけて、前方後円墳35基、方墳5基、円墳72基と非常に大きな範囲に渡って築かれています。その中でも101号墳は、全長30.5mの帆立貝式の前方後円墳で、周溝は2重に巡らされています。 |
わ
倭 七世紀ごろまでの中国や朝鮮での日本の呼び名です。日本人は倭人と呼ばれていました。 |
王任 応神天皇の時代に百済からわたってきたとされる人。「論語」や「千文字」を伝えたといわれています。 |