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出土遺物巡回展「房総発掘ものがたり-おゆみ野編-」

◎展示期間:2008年10月23日(木)〜11月30日(日)
主催:(財)千葉市教育振興財団埋蔵文化財調査センター、(財)千葉県教育振興団、
千葉県立房総のむら、千葉県立関宿城博物館、八千代市立郷土博物館、
市立市川考古博物館、芝山町立芝山古墳・はにわ博物館
後援:千葉県教育委員会




◎六通神社南遺跡
縄文時代の到来を告げる時期の遺跡で土器の出土は認められませんでした。
出土遺物はすべて石器で、この時代を特徴づける木葉尖頭器(槍先)が多数発見されました。石材には安山岩を用いており、産地の同定をしたところ奈良県の二上山や岐阜県の下呂から運ばれてきたことがわかりました。他にも出土した掻器(皮剥器)についてみると、石材は硬質な頁岩で、これも房総の地に算出するものではありません。東北地方のもので、遠隔地との交流を物語るものとなります。

◎有吉北貝塚
縄文時代中期に営まれた遺跡で、有吉南貝塚とともにおゆみ野地区における拠点的な位置を占める集落跡となりました。特に北貝塚は、台地部分が広範囲に調査されたもので類例は少なく、その点でも貴重な資料を提供したものといえます。さらに斜面部分に投棄されたおびただしい貝類や魚骨類は、当時の東京湾が豊饒の海であったことを示しています。また住居跡や小堅穴(貯蔵穴)は、台地の縁辺に沿って環状に巡り、中期の典型的な集落を構成していました。



◎椎名崎古墳群
椎名崎古墳群の中でも最も目を引く前方後円墳が人形塚古墳です。その名由来は、古くから人形(ひとがた)をした焼もの(人物埴輪)が周辺でみられたため命名されたといわれています。古墳時代後期の特徴である群集墳(200基以上)の中心的存在であり、その名のとおり大量の埴輪群が出土しました。なかでも顎ひげをのばした人物埴輪や家形・馬形・円筒埴輪などは、横芝光町に所在する著名な殿塚・姫塚古墳との共通点が多く、九十九里地域との関連が注目されます。


◎高沢遺跡
古墳時代後期から奈良・平安時代をとおして営まれた遺跡で合計337軒の住居跡と掘立柱建物跡(ほったてばしらたてもの)跡が発見されました。集落は徐々にその規模を拡大し、当時の村落の変遷が理解できました。しかし、豪族や寺院などに関連する掘立柱建物跡や文字資料(墨書土器)が少なく、反面、当時では貴重な灰釉陶器や役人の官位を示す金具(ベルトの飾り)などが出土しています。これらの遺物は畿内や東海地方からの搬入品で、律令制に東国が組み込まれたことを示すものです。

◎伯父名台遺跡
古墳時代から継続的に営まれた遺跡で、その主体は古墳時代後期と鎌倉・室町時代の中世にありました。中世の遺構として台地を整形し移住地とした場所(台地整形区画)では、掘立柱建物跡や柵列・井戸・土坑墓・火葬施設などが発見されました。出土遺物をみると、当時としても貴重な中国産磁器や瀬戸・美濃・常滑などで生産された陶器もみられ、村落としての機能を十分果たしていた集落でした。これらの遺物からみると、15世紀前半が盛期であったようです。

◎有吉城跡
調査は小範囲で継続的に実施されたため、調査地は30地点にも及びました。調査の結果、遺構は弥生時代を除く各時代にわたって認められ、江戸時代の陶磁器も多数発見されています。生産地は肥前(佐賀県)で、日常什器として使用された染付磁器や少量の色絵磁器・青磁・白磁といった高級磁器もみられます。遺構も台地整形区画や土坑墓・井戸・塚など生活に密着したもので、城跡とされていましたが、近世の集落といった性格の遺跡であることが確かめられました。




※催し物の展示品の一部が異なることがあります。
※「房総発掘ものがたり」の開催は平成20年度国宝重要文化財等保存整備費補助金(埋蔵文化財紹介・周知事業)の交付を受けて行っています。

企画展やイベントは定期的に開催しとるぞ。他にも家族で参加できる歴史体感イベントもあるぞ。
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