HOME > 展示紹介 > 企画展〜芝山の人物展 桜井静と木内重四郎〜



桜井静と木内重四郎

芝山町立芝山古墳・はにわ博物館企画展

芝山町史企画展「芝山の人物展 桜井静と木内重四郎」

◎展示期間:2011年11月12日(土)〜2012年2月5日(日)

主催:芝山町教育委員会/芝山町立芝山古墳・はにわ博物館


開催の趣旨

芝山町では、町史編さん事業をとおして、多くの資料を収集・調査し、博物館ではその業務を担ってきました。
本企画展では、その成果を紹介するものとして、自由民権家としていち早く国会開設を訴え衆議院議員を務めた桜井静、官僚として要職を歴任し京都府知事や貴族院議員を務めた木内重四郎の関係資料を紹介し、その足跡をたどります。
二人はともに芝山出身で、「民」と「官」という対照的な立場から、近代の国づくりに関わりました。
ふるさとの人物をとおして、明治・大正時代の政治や社会について考える機会となれば幸いです。

構成と主な展示作品

桜井静

(1)出生と養父桜井吉造

  • 「桜井吉造頌徳碑」(写真)

(2)桜井静と自由民権運動

  • 「国会開設懇請協議案」(明治12年)
  • 「詠帰堂日記」(明治12年)
  • 「地方連合会創立主意書」(明治13年) 
  • 「総房共立新聞」(明治14年)

(3)衆議院議員への道のり

  • 「国会開設にあたり民権主義など意見書」(明治23年)
  • 「桜井農場地図」

(4)衆議院議員としての桜井静

  • 「衆議院議員当選証書」(明治35年)
  • 「衆議院議員バッジ」

(5)満州での最期

  • 「息子への遺言状」(明治38年)
  • 「辞世」(明治38年)

▲国会開設懇請協議案(明治12年)

▲衆議院議員当選証書(明治35年)


木内重四郎

(1)出生と学生時代

  • 「千葉中学校優等証書」(明治12年) 
  • 「千葉中学校卒業証書」(明治14年)

(2)官僚から貴族院議員へ

  • 「大隈重信宛書簡」(写真、明治38年)
  • 「木内重四郎書簡」(大正3年)

(3)京都府知事としての木内重四郎

  • 「施政方針演説」(京都日出新聞、大正6年)
  • 「京都府行政文書 師範学校」(写真、大正6年) 

(4)晩年と家族

  • 「妻磯路宛の絵葉書」(明治44年)
  • 「国府台の納骨堂模型」
  • 「千葉中学校木内賞」(写真)

(5)国府台の木内邸

  • 「大正時代の木内邸」(写真)

▲木内重四郎書簡(大正3年)

▲千葉中学校卒業証書(明治14年)

木内重四郎

(1)出生と学生時代

  • 「千葉中学校優等証書」(明治12年) 
  • 「千葉中学校卒業証書」(明治14年)

関連行事

■講演会■
平成23年11月20日(日) 13時30分〜
「桜井静と自由民権運動」
矢嶋毅之氏(成田山霊光館)

平成23年11月27日(日) 13時30分〜
「木内重四郎の生涯とその時代」
奥住 淳(芝山町教育委員会)



桜井静(1857〜1905)
安政4年、香取郡東条村(現多古町)に生まれ、武射郡小池村(現芝山町)の桜井吉造の婿養子となる。明治12年、国会開設を求める「国会開設懇請協議案」を発表して自由民権家として活躍した。明治14年「総房共立新聞」を発刊。明治23年の第1回衆議院議員選挙では落選し、北海道へ渡り桜井農場を経営。明治35年、46歳で衆議院議員に当選し、翌年の総選挙で再選。明治37年の総選挙では落選した後、満州で開拓事業を行うが、明治38年に大連にて49歳で自殺。

木内重四郎(1865〜1925)
慶応元年、武射郡白桝村(現芝山町)に生まれ。千葉中学校(現千葉県立千葉高等学校第1期生)、帝国大学(現東京大学)法学部政治学科を首席で卒業。官僚として貴族院書記官、農商務省商務局長を歴任。明治38年、伊藤博文とともに韓国へ渡り、統監府農商工部総長、同43年朝鮮総督府農商工部長官。明治44年に帰国し貴族院議員、大正5年に京都府知事。夫人は三菱の創始者岩崎弥太郎の娘。国府台(市川市)にあった別邸の一部が、木内ギャラリーとして公開されている。大正14年に61歳で死去。

※催し物の展示品の一部が異なることがあります。
ご了承くださいませ。


企画展やイベントは定期的に開催しとるぞ。他にも家族で参加できる歴史体感イベントもあるぞ。
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