袖ヶ浦市の古墳(小櫃川下流域右岸の古墳)

  京葉工業地帯の煙突が林立する海岸から離れ,小櫃川北岸の台地上に所在する古墳を巡るコース。木更津の古墳と違い,台地の上に自分の支配地域を見下ろすように造られている。市立袖ヶ浦博物館で一休みして,歴史の勉強をしよう。

●コース

  小櫃川下流域北岸の古墳は,台地の縁に沿って分布する。坂戸神社古墳は,この地域最大の前方後円墳であり,前方部が狭く,後円部と前方部との高さが違うので,古い形の古墳であり,4世紀代の古墳として注目される。
 ほかに,前方後円方の滝の口8号墳,円墳の率土神社南古墳やお紬塚古墳などがある。

坂戸神社古墳

 袖ヶ浦駅から南に1km。坂戸神社を訪ねていくこと。市立昭和小学校の裏手の山にある。東京湾に面した独立丘陵上にある全長63mの前方後円墳。地山整形によって造られ,その形から4世紀初頭の古墳と考えられている。この台地上には,率土神社南古墳やお紬塚古墳が所在するが,本古墳はそれらの中でもっとも古く,海岸よりにある点で,古墳立地が注目される。(市民会館にP. WC. あり)

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 坂戸神社の参道によって大きく変形されており,古墳とは気が付かない。正式な発掘調査も行われていない。古墳からは下の平野がよく見える。


坂戸神社古墳 前方後円墳◆所在地 袖ヶ浦市坂戸市場字坂戸山◆全長63m◆方位 ほぼNW◆前方部幅28m 高さ1.8m◆後円部径35m 高さ4m◆埋葬施設 不明◆出土品 不明




坂戸神社古墳

●寄り道●

坂戸の森…標高約40mの台地上に残された社叢。この森は一部にマテバシイがまざる。スダジイ林を主体として,北斜面の下部にタブ林があり,県の天然記念物に指定されている。

率土神社南古墳

 率土神社南古墳へは,坂戸神社から国道16号を渡り,徒歩1km。袖ヶ浦駅からは直進約2km。袖ヶ浦高校を目指す。袖ヶ浦高校の裏の階段を上る。海岸平地に面した台地上の古墳。直径36m,2段築成で造り出しをもつ円墳。北西側に長さ7m,幅6mの前方部を持つ帆立貝式古墳。6世紀初頭前後の古墳と考えられている。(神社内にP. あり,WC. なし)

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 古墳からは下の平野が見渡せて,非常に景色のよい所である。生前の支配領域を末永く見守りたいと思って選んだような場所です。駅から坂戸神社古墳が1km,本古墳が1km,お紬塚古墳がさらに1km。およそ1kmおきに大きな古墳が造られています。


率土神社南古墳 円墳◆5世紀末◆所在地 袖ヶ浦市神納字岩井前◆直径36m◆高さ5m◆二段築成,造出し有り◆埋葬施設 不明◆出土品 埴輪(円筒)




率土神社南古墳

お紬塚古墳

 率土神社南古墳から東の方に0.8kmほど歩いた畑の中にある。小櫃川北岸,標高32mの舌状台地の基部にある円墳である。西側は一部削平されているが,東側は墳頂,周溝とも肉眼で分かるほど保存状態が良い。直径50mあり,周堤帯の一部が残っている。埴輪や土器から,6世紀中葉の古墳と考えられている。お紬塚の名は,この古墳から『機織り』の音が聞こえてくるという伝説に由来する。(P. WC. なし)


お紬塚古墳

上総堀り

 上総堀りは,江戸時代,君津地方で発明された深井戸掘りの技術。今でも地下500〜600mから自噴している上総堀りによる井戸が西上総地方に多く残されている。かっては,千葉だけでなく,新潟の油田を掘ったり,インドなどまで広く普及した。

 


寄り道

●飽富神社 延喜式に飫富神社として載っている上総国5座の一つである。現在の社殿は,元禄4年(1691)に再建されたもの。1月14日の深夜から15日の未明に筒がゆ神事が行われることで有名。


飽富神社

●袖ヶ浦市立博物館 袖ヶ浦市の原始から古代の歴史,東京湾沿岸地域の民俗資料が展示されている。0438−63−0811,火曜・祝日休館,無料。


袖ヶ浦市立博物館

 

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