佐倉市の古墳(印旛沼南岸の古墳)

 印旛沼の周辺には、北側の龍角寺古墳群や東側の公津ヶ原古墳群など大規模な古墳群がある。南岸には数少ないように思われているが、飯郷作遺跡や山崎ひょうたん塚など注目すべき遺跡も多い。歴史民俗博物館をコースに組み込むと古代史課程を専攻したことになる。

●コース

 印旛沼南岸は、弥生時代から古墳時代にかけて独特の文化が花開いて、古代ファンにとっては興味深い地域である。古墳は、印旛沼東岸の公津ヶ原古墳群や竜角寺古墳群に比べると、大きさという点からやや見劣りがする。しかし、特に弥生時代から古墳時代への墓制の変遷を知る上で貴重な遺跡である飯郷作遺跡と市内最大の前方後円墳の山崎ひょうたん塚古墳は、注目される。

飯郷作遺跡

 志津駅南口から佐倉行き京成バス(4〜5本/1時間)に乗り、東邦大学佐倉病院で下車。通りの反対側が県立佐倉西高校の校門(043−489−5881)。高校建設に伴う発掘調査により、前方後方墳2基、方墳4基、方形周溝墓23基、住居跡109軒が発見された。前方後方墳1基、方墳2基、方形周溝墓5基が県の史跡に指定され、校庭内に保存されている。
 この遺跡の最大の特徴は、弥生時代を代表する方形周溝墓が方墳となり、さらに前方後方墳へと墓制の変遷を、目の当たりにすることができることである。出土遺物の一部は、佐倉西高校の応接室に展示されている。 

memo

 学校の先生にお願いすれば、授業時間外なら校舎の3〜4階から真下に遺跡を見ることができ、墳形の変遷がさらによく理解できる。


飯郷作1号墳 前方後方墳◆4世紀前半◆所在地 佐倉市下志津字飯郷作262-1◆全長25m◆方位 N-117°-W◆前方部幅16m 長さ10.5m◆後方部辺14.5m 長さ2m◆埋葬施設 木棺直葬(後方部墳頂、主軸と平行)◆出土品 ガラス小玉3、土師器壷◆備考 1976〜77年県文化財センター調査
飯郷作2号墳 前方後方墳◆4世紀前半◆所在地 佐倉市下志津字飯郷作262-1◆全長30m◆方位 N-113°-W◆前方部幅9.20m◆後方部辺18.5m 高さ2m◆出土品 土師器坩◆備考 1976〜77年県文化財センター調査


 

飯郷作遺跡遺構配置図




飯郷作遺跡

岩名天神前遺跡

 京成佐倉駅北口から宮前団地へ向かって約700m、坂道を上りきった道路左側に八幡神社への道路標識がある。ここを左に入って、すぐ突き当たりを右に進むと左が八幡神社で、その先の右側の麻賀多神社裏手宮前公園内に、岩名天神前遺跡の標識が立っている。この遺跡は、弥生時代初期の墓制である再葬墓の遺跡として知られている。出土遺物は、市立市川考古博物館に展示されている。

再葬墓と方形周溝墓


岩名天神前遺跡

再葬墓とは、一度死者を土葬や風葬などで白骨化させ、それを細片にして再び細頸の壺に納める葬法である。岩名天神前遺跡では、7基の墓壙と23個体の土器が発見され、その内の9個から人骨片が検出された。
 方形周溝墓とは、方形に浅い溝を巡らして墓を区画する弥生時代から古墳時代に続く墓制の一つである。
 四隅だけは溝が掘られずに陸橋(ブリッジ)状に残って溝が全周しないものと、完全に周りを溝で区画する2種類がある。前者が弥生時代、後者が古墳時代のおもな形態といえる。
 副葬品は貧弱で、古墳発生以前の有力豪族の墓と考えられる。

 

山崎ひょうたん塚古墳

 岩名天神前遺跡から道路標識に沿って200m進むと、畑の中に山崎ひょうたん塚古墳が眼前に現れる。全長37mの前方後円墳で、墳形から古墳時代の前期のものと考えられている。
 帰りは、来た道を戻る。時間に余裕のある方は、歴史民俗博物館から武家屋敷を見学して、JR佐倉駅、京成佐倉駅に向かう。

memo

 NHKテレビで放送された「ひょっこりひょうたん島」にそっくりの墳形。眼下に印旛沼を望む標高約30mの高台に築造され、当時、首長者の権威を大いに誇示したものと思われる。


山崎ひょうたん塚古墳 前方後円墳◆5世紀後半◆所在地 佐倉市下根字上代343-1◆全長37m◆方位 N-175°-W◆前方部幅 14m  高さ3.5m◆後円部径23m 高さ7m◆備考 1975年佐倉市教委測量調査


 

山崎ひょうたん塚古墳墳丘実測図


山崎ひょうたん塚古墳


寄り道

●国立歴史民俗博物館 わが国最大の歴史系博物館で、日本の原始から近代にわたる歴史資料、民俗資料が常時展示されている。これらの見学には、原始古代部門だけでも半日はかかる。館内には食堂、ミュージアムショップなども完備している。043−486−0123、月曜休館、400円。(P. あり)


国立歴史民俗博物館

●佐倉城址公園・武家屋敷散歩 国立歴史民俗博物館の奥は、土井利勝が江戸の防備を目的に1610年に築城した佐倉城跡に造られた公園。姥が池、夫婦モッコクのある本丸跡、城の名残の土塁や空堀などが残されており、散策コースに最適である。春は桜、秋には紅葉が楽しめる憩いの場となっている。
 城址公園の大手門から佐倉東高の前を通って約800m進むと、麻賀多神社の前に出る。街角の道路案内に従って歩くと、高い生け垣の武家屋敷通りに突き当たる。ここには佐倉藩の中級武士の河原家と但馬家の屋敷が復元、公開されている。
 帰りはJR佐倉駅または京成佐倉駅へ。時間的に余裕がある人は、佐倉市立美術館、塚本美術館を見学するとよい。(佐倉市商工観光課、043−484−1111)


武家屋敷の小路

●佐倉市立美術館 佐倉市ゆかりの作品を展示するほか、企画展を年4回。エントランスホールは、大正時代の旧川崎銀行佐倉支店(県指定有形文化財)。043−485−7851、月曜休館、無料。


佐倉市立美術館

●塚本美術館 塚本総業株式会社社長塚本素山の収集した刀剣、刀装具を展示。0434−86−7097、月、土、日、祝日休館、無料。
●佐倉順天堂 佐倉は、「西の長崎、東の佐倉」と呼ばれたほど蘭学が盛んで、佐倉藩医となった佐藤泰然が町医として佐倉城下の東端、本町旧那須家跡で開業し、文政6年(1859)に当地に移る。ここで蘭学の示すところによって外科を研究し、後継者の育成に務めた。東京順天堂病院の前身。県指定史跡。

 

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