阿波国(あわのくに)の古墳

 安房は房総半島の南端部にあり、鋸山、清澄山系によって上総の国と地理的、地域的に分断されている。
 養老2年(718)に上総国から分かれ安房の国となったが、一時的に合併され、再び、独立して、阿波国となった。
阿波国造の支配地域は、平久里川流域を中心とした安房西部および館山市であったと思われる。
 成務天皇の世に大伴直大滝を阿波国の国造に定めたと、「先代旧事本紀」の第10巻「国造本紀」にみえる。阿波の北半がのちに平群郡、南半が阿波郡となった。
 なお、館山低地および山名川流域の内陸部には多くの横穴が分布している。
 館山市平砂浦を望む高台の翁作古墳(消滅)は数少ない例で、単鳳の環頭大刀、圭頭大刀、鹿角装刀子、須恵器などが出土しており、6世紀後半に築造されたと考えられている。

大寺山洞窟遺跡
鉈切洞窟

 全国的にも珍しい古墳時代の船葬墓ともいえる埋葬形態で注目された。古墳時代に使っていた船を木棺として使用し、5世紀前半から6世紀後半に至る長期間、埋葬が続いていたことが調査の結果分かった。東京湾を自由に行き来する海人の面目躍如たるロマンを感じる。館山駅からJR関東バスで白浜方面行き、西ノ浜下車。降りると駅方向に少しもどり、右の細い道を行くと獅子吼山総持院。山門の前の細い道を右に行き、大寺観音堂墓地の一番奥の裏山の崖に3基横穴墓がある。(P. 総持院、WC. なし)

 館山湾に面した海岸段丘上にある。入口の高さは、4.19m、幅は5.85mである。洞窟入口部分は縄文時代の貝塚になっており、縄文時代前期末から後期にかけての洞窟遺跡である。古墳時代には、墓として利用された痕跡があり、その後も海神を祀る神社として地元漁民の信仰対象となっている。
 JRバスで安房白浜、自然村、南房パラダイス行き安房浜田下車、目の前の船越鉈切神社拝殿裏の洞窟。(WC. なし)


大寺山洞窟遺跡


鉈切洞窟

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